塾員 in 台湾
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−学生時代の思い出をお聞かせいただけますか。
 昭和40年に、国学院付属高校から現役で法学部政治学科に入りました。

高校時代、理数系のクラスにいたので、医者になることも考えましたが、物理と数学を教わっていた家庭教師が慶応大学商学部の学生だったのです。その家庭教師の人が、慶応の政治学科の地域研究はとても進んでいると教えてくれたのです。

高校生の頃はESSに所属して英語も好きでしたし、早くから海外に関心があったので、政治学科で国際社会の研究をするのが一番向いているのではと思いました。

左:学生時代の上領さん
右:ゼミの藤原守胤先生
フランス語と英語のKクラスに入ったのですが、男性ばかりのクラスで、それも変わった人が多かったですね。慶応の付属から来た人も多かったのですが、みな面白く、何かひとつ優れたところをもっている人たちで、とても刺激を受けました。

 ゼミは藤原守胤先生でした。藤原先生は、大正14年に慶応の政治学を卒業した後、ハーバード大学に留学して、東大で博士号を取得されています。高木八尺先生と日本でアメリカ学会を設立されました。ゼミはほとんど原書購読で、大変苦労しました。厳しいゼミでしたが、みんな真面目でよく勉強していました。その時のゼミの一人は、東急不動産の社長で、シンガポール滞在の時には一緒にシンガポール三田会に入会しました。

 サークルは長唄研究会に所属していました。もともと唄が好きだったわけではないのですが、人がやらないことをやりたかったのです。大学2年のときに、「君、いい声をしているね」と勧誘され入会しました。三越劇場や東横劇場で定期的な発表会があったりして、とても楽しかったです。実社会に出てからも、カラオケではサークルの練習が効果を発揮しました。

−台湾での生活はいかがですか。


 楽しいですね。私は新北投に住んでいるのですが、台湾への着任が決まったとき、住む場所は、日本人が多い天母をあえて避けようと思いました。
 現地の人と触れ合える地域を希望した中で、温泉が有名な北投に住むことに決めました。北投の近くには陽明山もありますから、台湾の自然、四季の移り変わりの様子を楽しむことができて、とてもいいところです。
 週末には、健康のためもあって3、4時間かけて、陽明山を散策しています。途中で蛇に遭遇したこともありますよ。山の上には、おいしいレストランもありますし、美味しい台湾のお茶も楽しめます。

 隣近所の人たちとの交流もあって、去年の旧正月は、彼らの親戚の家に呼ばれました。マンションの上に住んでいる台湾の人たちも、わが家に頻繁に遊びに来るので、その中で言葉を覚えています。出来るだけ、台湾の人たちと触れ合うことを心がけています。

台湾着任早々、李登輝前総統と
お目にかかる機会がありました。

台湾の人たちはとても人情が篤いですね。いつか台湾を離れるときには、きっと私も家内もとても寂しくなると思います。今までいろいろな国に行ってきましたが、台湾ほど親日的な国はないと感じます。日本人として、本当に有難いことだと思います。
 今はなかなか時間の余裕がなくてできないのですが、今度ぜひ台湾の田舎、地方へ出かけてみたいと思っています。原住民の村も訪ねてみたいですし、島にも行ってみたいです。烏来や知本の温泉には足を運びましたが、もっと他の温泉も楽しみたいですね。

 せっかく台湾にいるのですから、時間をみつけて、台湾でしか食べられないもの、台湾でしか体験できないことができればと思っています。人との付き合いも、そのときだけで終わるのではなくて、家族ぐるみで長く付き合えるような友人をつくって親交を深めていきたいと思っています。


−最後に台湾三田会の会員にひとことお願いします。


 今まで海外に赴任したときには、いつもその国にある三田会に入会してきましたが、その何れも日本人だけの会でした。台湾に来て、台湾の慶應卒業生と日本の卒業生がともに運営しているという三田会は初めてです。これからも、台湾人の会員の皆さんと交流を深めていきたいと思っています。日本の駐在員のみなさんにも、台湾の人たちとの交流を深めることをお薦めしたいですね。

−本日は有難うございました。