第4便:  〜 ゴルフ一気に開眼、の勘違い 〜


 
 本稿の依頼を受けた10月は、ちょうど生涯ベストの85を出した直後。夏以降の好調を維持し、10回やれば5回は80台という状態でした。大先輩の後、僭越とは思いつつも、「ゴルフ一気に開眼」という題で、それまで100前後であったスコアがなぜ急に良くなったのかを書こうと、今思えばやや安易に引き受けてしまったのです。   

ところが、その後、スコアは急降下。100さえも切れなくなり、最も頑張らなくてはならない11月の慶早コンペではベスト10入りに遠く及ばず、今年2番目に悪い「107」。急遽、「ゴルフ一気に開眼、の勘違い」と題を改めました。以下、反省をこめて、過去のゴルフ歴、慶早コンペに対する思いなどを書いてみました。

―北京でのゴルフ

私がはじめてコースに出たのは、17年前の札幌支店の新人時代。支店のコンペに半ば無理やり出され、スコアはたしか140台。

その後1年で、東京に戻りましたが、日本ではほとんどゴルフをやる機会も無く、本格的に取り組んだのは、1990年、北京での1年間の中国語の語学研修生時代です。当時、北京には3つのゴルフ場がありましたが、我々若手が専ら行っていたのは、駐在員がほとんどいかない「郷村ゴルフ倶楽部」。名前から想像できるように、農民による経営で、料金も安かった記憶があります。できたばかりで、かつ農村の中に作られたせいか、ラフの上には山積みの干草、大スライスをすると第2打がりんご畑からのショットになってしまうホール、時折漂う堆肥の匂い、などなかなか牧歌的で印象的なコースでした。キャディは農村の純朴な女の子で、日本語はほとんどできません。ある日、私についてくれたキャディの知っている日本語と言えば、「強い」、と「弱い」のみ。パットがショートする度に、「よわ〜い、よわ〜い」と連呼され、「言われなくても弱いのは分かってるわい!」と頭に血が上った覚えがあります(注:郷村ゴルフ場の名誉のために申し上げますと、その後、きちんと整備され、接待にも使える立派なゴルフ場になっています)。

北京の冬は寒く、ゴルフ場はクローズしますので、本格的にゴルフをやったのは半年弱でしょうか。この頃のスコアは110〜120。もし、この時、1年中ゴルフのできる台湾で語学研修ができていれば、100は切れていたのではないかと思います。

ちなみに、企業派遣の中国語の語学研修生のことは、一般に「ごけんせい」と言い、漢字では「語研生」と書きます。ただ、これは中国大陸に派遣された場合のみで、台湾に派遣されゴルフばかりしている「ごけんせい」は、ゴルフのゴをとった「ゴ研生」と称されます。
当時、台湾の「ゴ研生」はハーフ40を切らないと肩身が狭いという噂もありました。

―念願の台湾赴任

北京の語学研修の後、東北部の大連に赴任しましたが、当時、大連にはゴルフ場はありませんでした。やむを得ず大連での2年間はテニスに打ち込み、1993年に日本に戻ってからは、大阪、東京に合わせて7年間勤務。ゴルフは年に1回やるかやらないかという程度で、当然スコアは良くて110台。140台も出てしまいました。こうして、ゴルフへの情熱もすっかり薄れかけていた頃、2000年にゴルフ天国の台湾赴任となり、ゴルフ人生の転機が訪れたのです。

 10年前の台湾「ゴ研生」になれなかった借りを返すべく、とにかく台湾でゴルフはうまくなってやろうと思い、日陰の無い真夏の永漢、強風吹き荒れる冬の八里、二日酔いの北投国華など、年間約30ラウンド、駐在3年半の合計で、100ラウンド以上はしました。そのわりにうまくなっていないのですが、今年の平均スコアはようやく90台となり、特に夏以降10月ぐらいまでは、調子がよければ80台、というところまできていました。ハーフベストの40ちょうども出し、「70台を出したい」、「11月の慶早コンペは、2度目のベスト10入りだな」と思い(慢心)はじめたころから、見事に崩れはじめたのです。




―慶早コンペの哀しみと喜び

 11月15日(土)、慶早コンペ。最近100を切っていないものの、何としても90台前半を出しベスト10入りを果たすべく気合を入れて臨みました。体調を考慮し、前日の金曜日に予定されていた飲み会は木曜日に変更。二日酔い無し、睡眠時間まずます。天候晴れ、老淡水という台湾屈指の名門コース。パートナーはお人柄も腕も抜群で、全く言い分けの聞かない条件の中での第4組でのスタート。

OUT、一番のパー4、395ヤード。第1打のドライバーは朝一にしてはかなり良い当たりで、フェアウエイほぼ中央。ところが、第2打、残り160ヤードの6番アイアン。調子にのってグリーンオンを狙うも、何とゴロ。距離50ヤード。朝一番だし、しょうがないな、と自分をなぐさめ、残り110ヤードをピッチング。ところが、またしてもゴロ。グリーンエッジ10ヤード手前。なぜだ、なぜだ、なぜだ、昨日は深酒もしていないのに。さすがに最近、ゴロは出なくなっていたため、頭は真っ白、軽いパニックに陥る。そして、第4打のアプローチは強すぎ、グリーン奥へ。ただ、ここは何とかまぐれの長いパットが入り、ボギーでしのぐ。

 2番ショート、110ヤード。第1打は手ごたえ十分で、周りからは「お〜、ナイスショット。ナイスオン」の声。よし、これからだ、とご機嫌でグリーンに向かうも、グリーンオーバー。返しのアプローチはかなりショートし、ここから2パットでボギー。

ゴロの不安を抱えたまま、問題の3番ミドルホールへ。第1打のドライバーはまずまず。第2打ミドルアイアンはゴロを恐れ、余計な力が入りダフリ。あせって打った第3打のアプローチはグリーン左のラフへこぼれる。そして、返しの第4打。調子悪いな今日は、と思って何気なく打った球はヘッドアップのため、大トップ。ボールはグリーン上を疾走し、あっという間に反対側のバンカーへ。なぜトップなんかしたんだ、という思いで、頭はまた真っ白に。冷静さを装いグリーンを横切りバンカーへ向かう。グリーン上からは、すでにパットを待つだけの他のパートナー3名の暖かい視線が私に注がれている。切れそうになる気持ちを抑え、「大丈夫だ、落ち着け。起死回生のバンカーショットだ。ここから、寄せワンならダボで済む。」と自分に言い聞かせる。そして、第5打、乾坤一滴のバンカーショット。が、ホームラン。「先にパットしておいて下さい」と他のパートナーに力なく言い残して、またまた元のラフへ戻る。この段階で、完全に切れてしまっており、第6打のアプローチも寄らずグリーン端に申し訳程度にオン。ここからツーパットで結局ダブルパーの8。

これ以後、前半は頭に血が上っていたせいか、あまり記憶がありません。この日は結局、このホールを含めダブルパー4発、トリプルボギー3発、ダブルボギー1発。トータルスコアは107。調子が悪いくせに、無謀なショットを連発したため、ちょっと乱れるとすぐ大たたき、という結果になってしまいました。

コンペの後の食事会では、ベスト10入りできなかった悔しさからか、同席した某早稲田の先輩にウイスキーをどぼどぼ注がれたせいか、かなり酔っ払てしまい、記憶がところどころ飛んでいます。久しぶりにお会いしたのにご挨拶できなかった方、失礼致しました。この場を借りておわび申し上げます。

個人的には不本意でしたが、慶應4連勝の席に同席でき、慶早の皆様といつものように騒げ、楽しい一日でした。私が台湾で出ているコンペの中で、この慶早戦が最も楽しいコンペなのは言うまでもありません。

―最後に

台湾駐在3年半。好きなゴルフを通じいろいろな方と知り合いになれました。今後、どれぐらい台湾にいられるか分かりませんが、できるだけいろいろな方とご一緒できたらと思っています。また未熟な腕のほうも磨いて、いつもフェアウエイの真中を笑顔で胸を張って歩いていけるようになりたいと思います。(昭62 商卒 高橋伸彦)