塾員のお気に入りの台湾をご紹介   File.3
   
新竹市眷村博物館
                
今月の紹介者   川嶋 義彦 さん (平成5年 法学部政治学科)
               

 日本人のトップバッターとして今回はあえて日本人に馴染みの少ない場所を選びました。私の好きな場所というよりは印象に残った場所を紹介したいと思います。

 「眷村」(ジュエンツンと読む) 台湾人なら誰もが知っている言葉でしょう。逆に日本人であれば聞いたことのある方は少ないかもしれません。また、言葉は聞いたことがあっても実際に足を踏み入れたことのある方は少ないのではないでしょうか。今回はそういった眷村の中の生活や歴史を紹介する新竹市にある台湾全土初の眷村博物館に行ってきました。

 
 「眷村」とは村の名前ではなく、一般的に国共内戦時に大陸から渡ってきた軍人のために提供された住宅(部落)のことを指します。住宅の質は劣悪なものから立派なものまで様々なようです。国民党政府が台湾に撤退した直後は、木や竹にワラと泥を塗りつけた雨風がしのげるだけの掘っ立て小屋も少なくなかったようです。当時、国民党は「3年で大陸反攻、4年で共産党一掃」というスローガンを掲げ、大陸に攻め帰れると本気で思い、仮住まいとなる場さえ確保できればと考えていたためです。
  本博物館の正面入口の写真。 
  晴天白日満地紅旗、国父並びに 
  蒋介石元総統の写真等が見えます。
   館内展示物の写真
写真はクリックすると拡大します

 そもそも眷村が台湾に建てられた背景は国共内戦で敗れた国民党関係者の住居の確保でした。当時の台湾の人口が1000万人に満たないと言われ、200万人ほどの国民党関係者が流入しました。国民党幹部の一部は台湾から引き揚げた日本人の家屋に移り住んだが、圧倒的多数の兵士やその家族には住む場所がありませんでした。そのために建てられたのが眷村です。眷村は場所としては都市部や大陸と向かい合う台湾海峡側の軍事基地となる地域に集中して建てられました。そのため空軍基地のある新竹、桃園等に多くの眷村があり、南部では高雄の左営地区が有名です。

 
 眷村に対する台湾の方々の思いには複雑なものがあると聞きます。国民党が台湾に撤退する前から台湾に住んでいた方にしてみれば、「敗者として逃げてきた者が、台湾で主人の顔をし、勝手に土地に住宅を建て始めた。眷村とはそういうものが住む部落だ」、という思いを抱いている方も少なくないようです。逆に眷村に住んでいる方にしてみれば国家や党のために戦い、異郷の地台湾に渡ってきた苦労を考えれば、政府による住宅の提供は当然の報いという思いもあるようです。また、当時の若い兵士には家族と別れ、一人で台湾に渡ってきたものも多く、彼らには特にそういった気持ちは強いかもしれません。
(ちなみに大陸への親族訪問が解禁されたのは、国民党が台湾に撤退した38年後の1987年です)


実際に大陸から台湾に撤退する時に使用されたスーツケース
            

 眷村には眷村育ちにしかわかりあえない独特の文化があると聞きます。彼らは本当の意味で台湾社会に同化できず、中国人意識が強く、しかし、中国といってもそれは現在の中華人民共和国ではなく、中華民国という想いがあります。しかし、大陸に攻め戻ることは出来ないのはわかっており、眷村の中だけが自分(または祖父母や父母)の故郷につながる唯一の場所だという気持ちがあるようです。
(左)眷村の人々の暮らしの様子。
   よく見ると右上には眷村を訪問している李登輝前総統の写真が見えます。
      
本博物館の外観 昔ながらの眷村の様子1 昔ながらの眷村の様子2 

 
 こういった感情や政治的背景とは別に、眷村は台湾の中の一つの文化であり、歴史の一部であることは間違いありません。また眷村の中には大陸から持ち込まれた貴重な文物も多数あります。台湾では近年、台湾の中の多様な文化を見直す動きがあります。本博物館も多様な台湾社会の中の一つの文化並びに歴史として眷村を紹介し、同時に眷村の中の貴重な文物を保存するという目的で昨年設立されました。ご興味のある方はぜひ一度行かれてはいかがでしょうか。


新たに立て直された眷村

新竹市眷村博物館 

新竹市東大路二段105

03-533-8442

http://urban.hccg.gov.tw/1100-museum/index.htm
開館時間:午前9時−午後5時 
定休日:月曜並びに祝祭日


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