塾員 in 台湾
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 星友科技股イ分有限公司 総経理 許 文星 博士
  清華大学電気工程研究所  教 授


今回の「塾員in台湾」は、時代の流れを読み取る先見性と独創的な技術でもって、台湾の産業界、学術会をリードしてこられた許文星博士にお話を伺いました。
許氏は「台湾OCRの父」とも呼ばれ、自ら創立した会社(星友科技イ分有限会社)では、世界でも最先端の技術を持つ「指紋認証システム」を次々と開発し、これまで数々の賞を受賞されてきています。
「今後の台湾は『MIT』から『CIT』に移行しなければならない−」、と力説される許氏のお話は、台湾のみならず、日本産業の今後の発展を考える上でも、大変示唆に富んでいるものと感じました。では、インタビューをどうぞお楽しみ下さい。

Profile
1950年 台北生まれ
1972年 国立成功大学電気工程 学士
1978年 慶應義塾大学電気工程 修士
1982年 慶應義塾大学電気工程 博士
               
日本の慶應義塾大学へ留学を決めた理由をお教え下さい。

−私が慶應義塾大学工学部電気工学科に入学したのは1976(昭和51)年です。当時、同級生の多くはアメリカを留学先に選択していて、日本に留学する人はあまり多くありませんでした。私が日本に留学しようと思ったのは、父が東大病院の医師をしていて、アメリカよりも日本の方を身近に感じていたことがありました。

もうひとつの理由としては、当時、台湾とアメリカは国力の違いが桁外れに大きかったことがあります。一方、日本と台湾では、もちろん日本の方が台湾に比べて進んでいましたが、アメリカよりも日本の方が近い存在でした。そこでアメリカよりは日本からの方が、より多くのことを学ぶことができると思ったのです。

日本の大学のなかで慶應義塾を選んだのは、台湾では清華大学と交通大学が「梅と竹」の関係でライバルに喩えられますが、日本では慶応と早稲田が私立大学の双璧をなしていると聞いていたからです。とりわけ慶應は縦のつながりが強固なところという点で魅力を感じていました。


慶應での生活はいかがでしたか。

―最も思い出に残っているのは、ゼミの合宿です。
 私は、当時の工学部長であった藤田広一先生の研究室に入りました。毎年夏に行われた蓼科での合宿では、仲間たちと勉強やスポーツに一生懸命に打ち込んだことが懐かしく思い出されます。

これは藤田先生が常々おっしゃっていたことで、今でも私が大切にしていることがあります。それは、「学術の研究をするには、”プロの精神”を身につけることが大切だ」ということです。
 この”プロ”の意味は、自分の仕事の領域、専門の分野において、長い期間をかけていい記録を積み上げていくことをさしていると思います。そのためには、心と身体を1つにして、日々の生活において、全身全霊で取り組む姿勢が不可欠です。
 仕事は仕事、プライベートはプライベート、と割り切るのではなく、生活をしながらも仕事のヒントを見つけようという姿勢が、いいアイデアを生む秘訣です。生活と仕事が一緒だと考えれば疲れません。これは私の実感です。



1980年代に、パソコンの中国語手書き入力システムを開発した業績から、「台湾OCR(Optical Character Reader/光学式文字読み取り装置)の父」と呼ばれていらっしゃいますね。


OCRシステムを研究し始めたのは、慶應大学院在学中のことです。

 中国や台湾などの中華文化圏で、文字認識の研究を始めたのは、私が最初でした。1980年代前半、中国語の入力は、キーボードの組み合わせでおこなっているだけでした。私は、今まで誰もやったことのない、光学文字読み取りシステムの開発に着手しました。文字が書かれた紙に光をあてて、その文字を認識するという研究です。
 帰国後OCRの研究会を台湾で立ち上げました。研究のアイデアが商品になるのには、10〜20年の長い年月がかかります。勿論、全てのアイデアが商品化されるわけではありません。OCRの開発を成功したことは、その後の研究の大きな弾みとなったと思っています。

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